かわ・まち計画研究会 副会長
大熊 孝
明治維新以後、近代的科学技術が導入されてから、富国強兵・殖産興業・高度経済成長を急ぐあまり、自然は収奪と克服の対象となってしまいました。いわば「国家の自然観」のもとで、日本の自然は「国土」と捉えられ、川であろうが都市であろうが、自然の摂理を無視した開発が進められてきました。その典型が田中角栄(1918~1993)の「日本列島改造論」であったかもしれません。
それまで、日本人であれば誰もが「山川草木悉有仏性(さんせんそうもくしつうぶっしょう)」で表現される自然観を有していました。これは、自然界のあらゆるものは無機物も含め平等であるが、人間だけは欲望があり、その自然の摂理から外れる「うしろめたい」存在であり、そのことを自覚して生きる必要があることを説いたものです。実際、庶民は、自然に生かされていることを自覚し、自然を熟知して、生業を営んでいました。この自然に対する熟知と謙虚さが、いわば「民衆の自然観」でありました。
その「国家の自然観」と「民衆の自然観」が、明治維新以後の150年間、ぶつかり合い、軋轢を起こしてきました。足尾鉱毒事件(1885年顕在化)、水俣病(1956年確認)、新潟水俣病(1965年確認)、福島原発事故(2011・3・11)、八ッ場ダム問題(2019年完成)などは、その軋轢の象徴です。そして、今や「国家の自然観」が国民に浸透し切って、「民衆の自然観」は消失し、国民は自然から乖離していることに安住し、疑念を持たなくなりました。
例えば、都市計画は、本来ならば、その計画地域の自然のあり様を前提として、食べ物の調達も含め農業を取り込んだ形で立案されるべきだったと考えます。しかし、日本の都市計画は、自然を捨象し、食料は他地域や他国からの輸入を前提として立案されてきました。
一方、自然災害に対しては、その災害の奥には害だけではなく恵みももたらすという、人と自然の複雑な関係性があるのですが、そのことを忘れ、一方的に近代技術で自然を克服するといいながら自然を破壊してきました。
そうした結果のしっぺ返しが、21世紀に入って頻発する災害ではないかと考えます。人は表面的な自然からの乖離に安住していましたから、被害は一層深刻になっています。もともと川の氾濫の履歴があるところに、無防備に宅地開発し、それを購入した人たちが水害で寝たきりのまま溺死する事例が増えています。そんな悔しい思いの中で人生を終えなければならいとは、だれが想像したでしょう。宅地やマンションの開発許可を与える行政も、設計者も、それを購入する買い手も、その土地の履歴を無視したからにほかなりません。
もう一度、便利すぎる日常を反省して、自然と人との直接的な関係性を復活させ、「国家的自然観」に「民衆の自然観」を組み込んでいく必要があると考えています。この「国家の自然観」と「民衆の自然観」の両者が、並行ではなく、撚り綯わされて新たな綱になることが求められていると思います。これが、熊本・水俣でいう「もやい直し」でないかと考えています。
明治維新の近代化を成し遂げた人々は「松下村塾」で育った人たちが多かったと思いますが、その中央集権的近代化はあまりに一方的で傲慢ともいえる「国家の自然観」に貫かれていました。「かわ・まち計画研究会」は、「うしろめたさ」を自覚した「民衆の自然観」に配慮して、今後の150年を見据えてほしいと思います。換言するならば、「かわ・まち計画研究会」が「裏返しの松下村塾」になることを期待しています。
(2019・10・26記)