土地利用計画と河川、地形…気になっていたこと

かわ・まち計画研究会 副会長
小出 和郎

都市計画を専門とするか、と考えたのは1969年頃。ちょうど都市計画法1968が制定された時。それから様々な都市計画に関わってきたが、色々な疑問、特に“都市計画”の領域のすぐ近くのことが気になった。例えば地理学、とくに歴史地理のこと、あるいは土木の領域、河川や土砂崩れなど。卒業研究で城下町をテーマとしたため、地理の分野(矢守一彦)や城下町の築城に関する河川の意味にも興味を持った。

河川と土地利用

初めのころ、線引きに関する「市街化区域の拡大」計画の調査が多かった。人口の増加見込みに対応して土地、地区を用意するというもの。こういう時、昔の地図とくに明治の陸軍測量部の地図を私はよく見た。そうすると土地の歴史がよくわかってくる。平野の中でも,集落は水の災害を受けにくい場所にあること(神奈川県の西部酒匂川の平野部では自然堤防の上、あるいは微高地)、別の地域では富山県の砺波平野も同様である)。地理の分類では集落には密集蜜住から散在散居があるが、地方には散在散居が結構少なくない(典型的な密集蜜居(コンパクトシティ?)はあまり見ない)。市街化区域を広げる時は、なるべく平野部の低地部は避けた方がいいと思ったけど、このことはその時点ではあまり重要視しなかった(なぜかな?)。

長野の小布施町のHOPE計画をやっていた時のこと、小布施町の東にある松川には、信玄堤、霞堤があり独特の治水の考え方を現在に引き継いでいると聞いた。大洪水に対してはそういう考えもあるのだとこの時初めて知った。

現在では、ハザードマップと呼ぶのが一般的なようだが、神奈川県では危険を避けるという意味でアボイド(avoid)マップといっていた。東日本大震災でも計画図や地形図のアーカイブという形でも捉えられたが、土地利用計画は、過去の被災地、浸水地を避けることや、埋め立て地では居住用施設やその建築構造などは条件付の利用を考慮する(伊勢湾台風の後、名古屋港の臨港地区では建築物の構造制限が付与された)必要がある。結局のところ、このような土地は条件付き、あるいは利用不適とすべきなのだが、現在は利用の自由に負けている状況だ。土地利用計画は、都市計画(法)の枠にとどまらず、土木、地理の分野と連携して、近年の、地球温暖化に伴う災害に対処すべきであると思う

この他にも、土砂崩れと土地利用(急傾斜崩壊危険区域)や、保安林と土地利用の問題もある。前者土木の領域、後者は森林の領域、地域は多様な仕組みが関連することなのだ。

日本の都市計画

ほぼ50年間、都市計画を仕事としてきたけど、現在の都市計画システム1968は、すでに現在の社会に対応できないシステムになっている。制定当時の人口急増、無秩序な市街化の進行というテーマには相当の成果を上げた。しかし、社会は激変した。さらには、地球温暖化の問題が豪雨、降水量の激変を生み出し、これまでに整備したインフラでは対応できない事態を招いている。

これに対応するためには、現在の都市計画法1968のシステム単独では解決できないような気がする。環境問題から、健康福祉、ITなどを含めた形で、『都市計画』を捉え直してみる必要がある。そして、今では少し狭すぎる都市計画の施策領域を広げる必要があると感じており、他の分野との連携、複合施策を考えてみたい。都市計画区域であっても、市街化区域以外は農林業を優先する農水省の土地利用システムとの連携がとくに重要と思う。

そのような観点から、都市計画を土木、地理などの分野と合わせて「かわとまち」を取り上げてみたい。

 以上 2020.03.05

余談1 昔、都市工の同級生の一人は、都市計画は社会の富の配分を適正化できるシステムだととらえて都市計画を選んだと言っていたことを思い出す。都市計画法は事業制度と、土地利用などについて公共の福祉という観点から個人の権利の制限(規制)を行う法律である。しかし現実には、個人の権利の主張に負け、皆さんご存知のように、50年間の間規制強化はわずかで(2、3件であったこと位は知っているが)、ほぼ毎年のように規制緩和の改正を続けた。建築基準法も同様であり、この規制緩和は全国一律であり地方に余計な迷惑をかけたという面もある。

余談2 例えば、鉄道と自動車の関係は、1970年代半ばには自動車が優勢となったが、都市計画は自動車の脅威を低く見ていたのは事実である。都市的土地利用の郊外化は実に1970年代半ばには見過ごせない問題となっていた。ただ、都市計画は制定して5年くらいの制度の運用に精一杯だった。68年法の運用方策が確定した頃にはすでに車社会になっていたし、郊外土地利用対策が取られたのは、さらにしばらく時間を必要とした。そして郊外への土地利用拡散、都市農地の残存に都市計画、土地利用計画は追われた。
都市計画法が社会に対応できない理由は、都市を取り巻く状況と都市計画法が扱う事柄にズレが生じているからである。と同時に本来の個人の土地利用に対する制約を実行することが難しい状況にあるからとも思える(個人の同意をとるために、大変な時間を必要とする)。立地適正化計画は一つの方向を出したが、十分ではない。